称賛【ダーの軌跡pt1】
我々は組織や誰かのために道具として物事を行ってるのではなく
何時も自分の意思で行なっている。
この言葉はある物語の登場人物のセリフを
要約、わかりやすくしたものである。
私はこの言葉がとても身にしみる時が
人生の何年かで起こっている。
私の幼少期から現在に至るまで
仕事を除いて自分の意思で出来たことは
限りなく少ない。
空手、卓球、剣道、ギター
ぱっと思いつくだけでこの四つである
幼少期、いわゆる習い事を沢山やってきたが
今思い出せる限りでも
絵画、水泳、学習塾、英会話
どれも両親に始めろと言われてやらされたことである。
今思い返すと決して全部が辛い嫌だと言うわけではなかったが、自分の意思でやりたいと思えることではなかった。
では何故両親は始めろと言うのか。
父はどちらかと言うとやりたいことをやらせてあげたいと言う思考の人間であったと思う。
母親がはじめろと言うのが常であった。
これはあくまで憶測ではあるが
私の母親は他人からの称賛の道具として習い事を数多くやらせてきたのだと考えてる。
何故そう考察するのかと言うと
絶対に私自ら始めたものに対して
褒めるどころか否定と侮辱しかしないからである。
記憶に新しいものだとギターだ。
高校3年の時に初めて楽しくて帰宅後に毎日練習しているところに母親は
『お遊戯会の練習?』
『そんなことしてて楽しいの?』
と毎回笑いながら言ってくる。
正直に腹が立った。
やれと言ったことは褒めるくせに
自分でやり始めたことは
何故否定しかしないのか。
それでも私はギターをやめなかった。
何故なら
父が
だいぶ上手くなったなと褒めてくれたからだ。
父は私が何かを初めて成長の兆しが見えたり
進歩があると必ず褒めてくれた。
母親がどう思ってるかは見当もつかないが
私の味方をしてくれてたのはいつも父だ。
唯一の悔やむべき点は
私がライブに出演するようになる頃には
父が旅立ってしまった後であったという事くらいだ。
普段私は笑う事がとても苦手だが演奏してる時は楽しそうに演奏するように心がけてる。
何故なら尊敬するギタリストがそうしているというのもあるが、父がもしかしたらそばで見ててくれているかもしれないという気持ちがあるからだ。
しかめ面で演奏してても
きっと父は嬉しく思わない。
普段霊能力とか神様とか全く信じない私がそんな事を考えてしてると思うとバカバカしくなるが、それが亡き父へのせめてもの親孝行という自己満足でもある。
この間のライブに来てくれた嫁も
カッコ良かった、上手かったと褒めてくれた。
数々の交際を経て現在に至るが
初めて聞いた演奏に称賛してくれたのは嫁が初めての人であった。
心から嬉しいと思った。
だから私はギターを辞めるつもりはない。
たとえ2人でも私の演奏を褒めてくれた
私が大切に思う人達の為に
今後も演奏していこうと思う。
父と嫁に感謝を
byダー